スタッフダイアリー

「姿無き犯行」

--これは嵐の真夜中に体験した実際に起こった出来事である--


それは真夜中に突然鳴り響いた。


私の自宅は風の強い大通りに面したマンションで、
隣に高層ビルが建っているため、いわゆるビル風というものが発生する。
そして、なんとかと煙は高いところが好きというが、私の部屋も最上階。
低気圧の日には、風の強さが尋常でない。

エレベーターから自室までは腰高のフェンスのみがついたオープンな通路なため、
風の強い日はとても帽子なんて被っていられない。
ともすれば体がよろめくほどの強風にさらされるのだ。

その日、東京には台風が接近していた。
風は窓枠をガタガタと揺すり、窓が内外に大きく動く。
いつか窓が割れてしまうのではないかと不安がよぎる。
そんな嵐のような風音を室外に聞きながら、ようやく眠りについた深夜に事は起こった。
突然鳴り響いた音。
インターホンである。


眠い目をこすりながら体を起こし、まず時計を見た。午前3時。
こんな真夜中の来客の予定はない。
しかしそれだけに緊急性のあるものを感じさせ、ゆっくりと起き上がりモニターを見た。


だがモニターは真っ暗である。
私がそれを不審に思う前に再度それが鳴り響いた。
と同時に一気に目が覚めた。

インターホンの鳴り方は2種類ある。
すなわち1Fロビーのオートロックの外から呼び出した場合、
そして部屋のすぐ外-ドアの横のチャイムを押した場合の2種類だ。

そしてその鳴り方は後者のものだった。

私は慌てて玄関へ向かった。
だが、ドアの覗き窓から外を見てみるが人影は見当たらない。
すでに去ってしまったのか。

しかし心当たりが全くないわけでもなかった。

実を言うと、このような姿のない来訪者が来るのは初めてではない。
これまでに何度か同じような事があったのだ。
それは早朝や昼間にも起こっており、覗き窓の向こう側に人の姿があった事はないのだ。

最初は別の部屋と間違えた来訪者の仕業かとも考えたが、あまりに頻度が高い。
そして1Fロビーからの呼び出しで同様の事が起こったことはない。
これはいわゆるピンポンダッシュというイタズラなのかと考えるようになった。
しかしこのような深夜に鳴らされる事は初めてである。
そして何故わざわざこんな嵐の真夜中に・・・?

答えが出るわけでもなく、その場に佇んだところで仕方がない。
私は踵を返しベッドに潜り込んだ。


また眠りに入りかけたところ、再びそれは鳴り響いた。
その行為に何の意味もない事を知りながらも覗き窓に顔を近づける。
やはり人影はない。

私はため息をつきながらベッドに戻った。
その途端にまたも鳴り響くチャイムの音。

今度はチェーンを掛けたまま、ドアを少し開いてみた。

しかし誰かがいる気配はない。
チェーンを外し、ゆっくりとドアを開けてみた。


ドアの正面からビル風が流れ込んでくるため、 強風の日はドアがとても重くなっている。
また、そのような日に急にドアを開けると、風でドアが持っていかれてしまうのだ。

その瞬間、唸るような風音と共に冷たい空気が顔を叩く。
少しずつドアを開けて通路を見回してみるが、やはり誰もいない。


すっかり目が覚めた私は犯人を捕らえようという気になってしまった。
動きやすい服へ着替え、玄関で本を読みながら待機することにした。

今晩再び犯人が訪れる事はないかもしれない。マンションの管理人に相談しようか。
そんなことを考えながら本を読みつつ待つ事、わずか10分。
チャイムが鳴り響いた。


本を放り出し、即座にドアノブを押した。
強風がドアの内側へ流れ込み、扉は勢いよく一気に開かれた。

そしてそこには。

そこには人影などなかったのだ。
隠れるような場所もない。ドアの裏などという古典的な確認もした。
しかし誰もいない。
何より人の気配もなければ靴音すらもなかったのだ!
深夜に吹き荒れる嵐の風音だけが轟々と鳴っていた・・・。



私は霊などの類は一切信じない気質であるが、何かうすら寒いものを感じ静かにドアを閉じた。
どういうことなのであろうか。
少し頭が混乱しながら部屋に戻り、いろんな可能性を考え巡らせた。
インターホンの故障や別の部屋との混線など。



確かな答えが見出せないまま、次のチャイムが鳴り響いた時。
再びドアを開け、私はついに犯人を見た。

ドアを開けた時にチャイムのボタンが押される瞬間を、その犯人を私は見たのだ。

いや、見ていないというべきなのであろうか。
そこには形あるものの姿などなかったのだから・・・。

D=CdAγu^2/2g
これは流体抗力算出の簡易式である。

D:抗力(kgf) Cd:抗力係数 A:物体面積(m2) γ:流体密度(kg/m3)
u:流体速度(m/s) g:重力加速度

その晩に吹き荒れていた風は最大45m/sec、
これに自宅環境の標準的な物理係数とチャイムのボタンサイズを合てはめる。
D=2x0.01x1x45^2/(2x9.8)=約2kgf

直径1cmほどしかないチャイムの丸いボタンになんと最大2kgもの圧力がかかっていたのだ。
むろん、風向きと風圧がうまく条件に沿った場合のみに起こる現象であろう。

風が収まってくると同時にチャイムが鳴ることもなくなった。

私は強風の日にはこれからもピンポンダッシュとつきあっていかなければならないようだ。
なんとも迷惑な犯人である。

音楽事業部 齋藤(仁)でした。